5.ペスト騒乱
私がその噂を聞いたのは、12月になる前の冬の寒い季節だった。
相変わらず父は辻馬車の仕事をしていた。父の辻馬車仲間の一人が仕事で隣町に行った時、遥か東のコウダラという街の住民が謎の疫病で大量に亡くなり街がなくなりそうだというのである。
私は街が一つ疫病で無くなるなんて噂は信じられなかった。しかしそれから暫くして隣町にも疫病により死人が出たとの噂がまことしやかに流れてきた。
父の辻馬車仲間の一人が再び隣町に訪れた際、疫病で町は大混乱だったと言った。広場には埋葬されずにそのままになった死体の山ができていて、至る所の家は外側から板を当てて釘を打ち込み封鎖されていたと言うのである。私はその話を聞いた時背中にヒヤリとしたものを感じた。
それから数日後、その隣町に行っていた父の辻馬車仲間の一人が病気になった。次の日には家族も発症して三日後には家族全員亡くなった。
私はどうしてもその家族の死因が知りたいと思った。
父が葬儀に出席するというので私も一緒について行くと言うと猛反対されたが、私がどうしてもと言って食い下がらなかったので渋々了承してくれた。
葬儀場へ行くと三つの棺が並べられていてその中に遺体があった。遠くにあった棺が少し小さくそこには子供の遺体が入っていた時には涙が出てきた。
三人の遺体を見ると痩せこけていて闘病の凄まじさが伝わってきた。三人共に顔に黒い斑点が見えた。
(あれってもしかして? まさか? そ……そんなことはないだろう)
ある病気が頭をよぎったがその病気のことは考えたくもなかった。
それから一ヶ月もたたないうちに町中に謎の疫病が流行り出した。
私はその日、家の外に出ると家の前に男がうずくまっているのが見えた。その男に恐る恐る近づくと男はレンだった。大きな体が丸まって震えながら泣いている姿を見ると弱々しく見えた。クリスと喧嘩していた男とは別人のようだった。
私はレンに声をかけると泣きながら話してきた。
「お……俺の妹が病気になった…………も……もう助からない……」
「い……妹さんに会えるかしら」
私はレンにすぐに妹に会わせるように言った。
「無理だ。この病気は治らない……原因不明の病気だと医者が言っていた。もう……妹は……モカは助からない」
レンは涙でくしゃくしゃになった顔をこっち向けて言った。
「いいから私をモカさんに会わせなさい!! 家まで案内して!!」
私の怒鳴り声でレンはびっくりして立ち上がった。
「わ……分かった……こっちだ、ついて来てくれ!」
私の剣幕にレンは圧倒されて涙を拭きながらすぐに家まで案内してくれた。
家の中に入ると小さなベットにグッタリとして苦しそうにしている小さな女の子がいた。
モカの隣に座ると汗だくでうなされていた。高熱を出していて息をするのもやっとのように見えた。
「俺の唯一の家族なんだ」
「両親は?」
「モカが生まれてすぐに両親とも死んだんだ」
「それは……ごめんなさい」
「いいんだ、そんなことよりモカは助かるのか?」
「少し確認したいところがあるの服を捲っていいかしら?」
「いいとも、それでモカが助かるなら何をしてもいい」
私はモカの服を捲って足の付け根にある鼠蹊部を調べた。私が思ったとおり鼠蹊部に腫れ物ができていた。やっぱりか。信じたくない、それが私の第一印象だった。
私はこの病気を知っていた。私は大学の論文でこの病気の事を調べ、どうすれば中世のヨーロッパでこの病気を治すことができるのか?、論文に書いたことがあった。教授にはそんなこと現代じゃできないぞ、と大笑いされたことを覚えている。
この病気は十四世紀のヨーロッパで爆発的に流行し、人口の三分の一以上が亡くなった。致死率が60%と非常に高くまたエアロゾルで空気感染をも引き起こしてしまい、古くから人類を脅かしてきた悪魔の病気、ペスト(黒死病)に違いなかった。
私はすぐに消石灰を水に溶かして石灰液を作るとそれを布に浸して、絞ってマスクにしてレンに渡した。家にいるときは必ずこのマスクをしてモカの触れたものには石灰液で消毒するように徹底させた。
私のペストを治す方法は、動物にペスト菌を移してペスト菌に対する免疫を作ってもらい、その動物の身体の中でできた抗体をペスト患者に注入するというものだった。教授には大笑いされたが、この異世界にはペスト菌に有効な抗生物質が無いのでモカを助ける方法はこれしかなかった。
当時の私はペスト菌の抗体を作る動物として選んだものは馬だったが、近年の研究で動物の中で最強の抗体を作ることができる動物がいることを知った。それはダチョウである。ダチョウの抗体はウイルスやバクテリアなどの病原体を不活性化する能力がずば抜けて高いと聞いたことがあった。
私はダチョウによく似たあのコカス鳥であればペスト菌の抗体を作ることが出来るかもしれないと思った。
私はすぐにパープル商会に向った。
◇
私がパープル商会に入るとエンリケと息子のクリスがいた。エンリケは私の慌てた姿を見るとすぐに近寄ってきて話しかけてきた。
「どうしました? そんなに慌てて?」
「知人がペストに感染しました」
「ペスト? なんですかそれは?」
「死の病です。今この街で流行っている病の病名です」
「なんだって? あなたはこの病気のことを知っているのですか?」
「はい。よく知っています。知人に残され時間はあと数日です。どうか頼みを聞いてください」
「わかりました。私にできることであればなんでもしましょう」
「それではコカス鳥を一羽私にください」
「コカス鳥を? どうするんですか?」
「ペスト菌をコカス鳥に感染させます」
「何? そんなことをしたらコカス鳥が死んでしまいます」
「そうなるかもしれません。でも、多くの人の命を助けるためにはこの方法しかありません」
私がそう言うとエンリケは黙って考え込んでしまった。クリスが僕からもお願いします、と父親に言ってくれた。エンリケは渋々私に賛成して一羽のコカス鳥を貸してもらうことができた。
私がパープル商会の一室で待っていると、クリスがコカス鳥を一羽連れてきてくれた。私はそのコカス鳥を見てびっくりした。クリスが小さいときから大切にしているニトだった。
「だめよ。クリスこのコカス鳥は実験に使用できないわ」
「いいんだよティアラ。君の知人を助けるためには他より優れていて強いコカス鳥が必要だろう。このニトを使ってくれ」
「でも……」
「いいんだよティアラ。僕は君を信じているよ。それにニトは僕の親友だよ、ペスト菌になんか負けるはずないさ」
「クリス……ありがとう…………」
私は泣きながらお礼を言うとすぐにクリスはニトにまたがって手を差し伸べてきた。私はクリスの手を掴むと一緒にニトに乗ってレンの家に急いで向った。
◇
私とクリスはレンの家に着くとニトを繋いでモカの血液をニトに注射した。ニトは恐れることなく大人しくしてくれていた。やがてニトの体温が上がっていった。私はニトの身体の中で抗体が作られているのだろうと思った。暫くするとニトはグッタリして動かなくなった。とても辛そうなニトを見て本当にこれでよかったのか不安に思った。
私はグッタリとして動かなくなったニトの頭を両手で優しく包んで一晩中ニトに寄り添った。
◇
クリスが部屋に入るとベッドの上に光熱に侵され弱々しくなった女の子が見えた。その横にレンがいた。レンはクリスが近づくとチラリとクリスを一瞬見てモカに視線を移した。
「こ……この前は……殴って悪かったな」
「あ……ああ、別に気にしてないさ……」
「ティアラから聞いたよ。モカを助けるために、大事なコカス鳥を貸してくれたって、本当にありがとう」
「モカさんだけのためじゃないよ、この町の住民全員を助けるためだよ」
「モ……モカは……お……俺の……唯一の肉親で、宝なんだ」
そう言うとレンはモカの手を握り泣いた。
クリスはレンの震える背中に優しく手を置いた。
「大丈夫だ、モカさんは助かる。ティアラを信じろ」
◇
私は納戸の窓の隙間から刺す光で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていた。両手を見るとニトがいないことに気づいた。私が目を上にあげると窓の隙間から刺す光を纏ったニトがそこに立ってこちらを見ていた。私はすぐにニトの体温を測るとペスト菌を注射する前の体温に戻っていた。
私はペスト菌の抗体がニトの体にできたことを確信した。私は飛び上がって喜んだ、あとはこのニトの体液から抗体を抽出してモカの体に注入すれば助かるかもしれない。私はすぐにニトの体から抗体を取り出してモカの部屋に向かった。
私がモカの部屋に入るとレンが心配そうにモカの看病をしていた。モカは高熱に犯されていた。私は苦しそうにしているモカの鼠蹊部を触るとリンパ腺が卵のように腫れていて、身体中に黒い斑点ができていた。これがペストが黒死病と言われる由縁である。
私はすぐにニトから取り出した抗体をモカに注射した。本当にこれで助かるのか保証はなかったが、今はこの方法しか有効な治療法がなかった。私はこの世界の神にモカが助かるように祈った。
私とレンとクリスは交代でモカを一晩中看病した。次の日の早朝にモカの熱が下がり始めた。
「熱が下がり始めたわ」
「ほ…本当か? モ……モカは助かるのか?」
レンは泣きながら私の手を握ってきた。
「まだ油断はできないけど、徐々に治るかもしれない」
そこまで言ったところで、レンに抱きつかれた。
「ありがとう、ありがとう、この恩は一生忘れない」
「ま……まだ油断はできないわ、レ……レン少し力を緩めて……く…苦しいわ」
悪い悪いと言って、すぐに離した。
モカの体調はみるみる良くなっていって、二日目には横になって自ら食事ができるまでに回復した。モカの状態を確認しても抗体に対する拒否反応も副作用もないようだった。私はこの世界にペスト菌を殺す抗体を作ることに成功した。
「もう大丈夫ね」
私がそう言うとレンがモカの手を握って泣いていた。
「お兄ちゃん、心配かけてごめんね」
「本当に心配したぞ、本当に助かってよかった」
二人は泣きながら抱き合った。
私はモカの元気な様子をみてすぐに部屋から出ていった。
「どこに行くんだ?」
レンに聞かれたので、振り返った。
「モカさんはレンに任せたわ。私は他の人を助けたいからもう行くわ」
「俺も行くよ」
クリスが付いてきてくれた。レンは私に何度も頭を下げた。
私はもっとたくさんの人を助けるため、レンの家を後にした。
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